阪大工学部の散歩道へようこそ!

このブログは、正真正銘の阪大工学部の教職員・学生が記事を投稿しているページです。
このブログを通じて、阪大工学部では毎日どんな事が起こっているのか、阪大工学部の人たちはどんな事を考えているのか、など「生の阪大工学部」を知って頂きたいと思っています。
ご投稿、コメントをお考えの方はお手数ですが、下記のアドレスまで投稿内容を送信してください。
まだまだ成長途中のブログですので、みなさまの暖かいご声援をお待ちしております。
記事・コメント投稿、要望などはこちらのアドレスまで
→ sanpo@eng.osaka-u(最後に.ac.jpをつける)

大阪大学 工学部/大学院工学研究科についてより詳しい情報を
お求めの方は、公式サイトや facebook、Instagram、Twitterを
ご参照下さい。

[教職]総合演習(2):「ずいぶんわかった」「有用極まりない」科目

author : A.Mizunoawa   [ 一般 ]
2019.11.29 Friday 14:30 | - | trackbacks(0) | 

みなさん、ご機嫌いかがお過ごしですか。工学研究科生命先端工学専攻M1のA.Mizunoawaです。

ちょうどひと月前に、こちらの記事で教職の特別課題演習という科目について概要を説明させてもらいました。今回はその続きとして実際に特別課題演習に行って僕が思ったことを述べたいと思います。

僕はとある高校にお邪魔して、体育祭・文化祭・授業・テスト期間直前期と、学校生活において非常に重要なシーンでのお手伝いをさせてもらいました。この4点に絞って少し書き連ねてみることにします。

 体育祭の設営の手伝いや写真撮影では、生徒たちを主役として輝かせるために裏であくせくと働いていらっしゃる先生方の偉大さを知った。自分が高校生の頃には目の前の競技に夢中になっていて周りのことなどほとんど見えていなかったが、いざ働く側になってみると、円滑な運動会の運営のためには誰かしらが常に汗水垂らしているのだということがよく実感できた。

 体育祭ではもう一点、子供たちのありあまる体力についてひどく驚かされた。保護者席や関係者席とは異なり、子供たちがいるテントには座席が無くみんなで立ち見をしているという場合がほとんどだったが、彼らは自分たちで競技に参加しながらも、参加していないときには休むのではなく他の子の競技を全力で応援していて、そのあまりの元気さにとても感服した。炎天下の中、重い旗を振ったり大声を出したりする行為は自分の体力と引き換えにしか成し得ないものであり、運動会にかける熱い思いが無ければそう容易くできるものでもないと思う。

 文化祭の巡回と写真撮影では、子供たちのいつになく楽しそうな様子を間近でたっぷりと見ることができた。普段とは違い煌びやかな衣装を身に纏ったり食べ物を作って販売してみたりという体験ができる文化祭では、生徒らが羽を伸ばして自由を謳歌できる時間であると共に、普段とは異なる学びができる大事な瞬間でもあるのだと思う。仲間と協力することの重要性はもとより、実際に手を動かして労働することの大変さ、頭を動かして創意工夫することの難しさも文化祭の準備と運営を通して学ぶことができるはずだ。確かに学校の中では座学がいかに良くできるかが大切なことの一つではあるのだが、それ一辺倒になってしまわないように、社交性・人間性を磨く練習として文化祭は非常によくできたイベントだと改めて思う。生徒らが嫌々やっているわけではないという点も特筆すべき要素だろう。彼らが主体的に文化祭へのめり込んでいけばいくほど、彼ら自身の学びの質は上がっていくに違いない。

 インターン中、補佐という形で実際の授業にお邪魔させてもらう機会もあった。それは少人数制の授業で、プリント教材に描かれた漫画を読んでその内容の倫理的な是非についてみんなで考えるというものだった。僕が担当した子供たちは、正直言うとあまり授業に対してやる気が見られない生徒たちだったのだが、それでも個人的には学びうることが多かったと思っている。どうして彼らは授業に興味が無いのだろうということを、補佐をしながら真剣に考えていた。彼ら自身に勉強に対するモチベーションが足りていないといってしまえばそれまでなのだが、勉強をしてやろうという動機を与えるのは教員側の役割ではないのかと私は感じている。集団塾ならともかく、学校という機関においては生徒全員に学習の機会を与えてあげるべきだし、学習することの重要性を理解させてあげるべきでもあるだろう。そのためには、授業の資料ひとつを取ってみても提示の仕方というものを考えなければならないのかもしれないと思った。ただ脈絡も無く「今日はこれをやります」と教員が指定した教材を与えるばかりでは、持てるはずの興味も持てなくなってしまうに違いない。だからまず、教材を渡す前には生徒の心を掴む導入が必要なのではないだろうか。子供たちにとって身近な話題から始まり、最終的には教材に帰着できるような話の流れを作る必要がある。授業の冒頭で「これは私にも関係があることだな」と思わせることができれば、彼らの授業に対する身の入れ方も変わってくるだろう。もちろん、人それぞれ学問に対する趣味があるので全員に「この授業は面白いな」と思わせることは難しいだろうが、当事者意識を持たせることならば、少なくとも倫理や道徳的な話をする際にはできるはずだ。というより、英語や社会、数学といった科目であってもその知識の有用性を説明してやることは可能なのだ。本編前の「下ごしらえ」の一言が、授業という完結した一つの訓導行為では意外と重要なファクターになっていることを、肝に銘じておきたいと私は思った。

 テスト期間前には、生徒たちがわからない問題の質問対応をするというお仕事もさせてもらった。これについては普段から塾でアルバイトをしていることもあって、手前味噌ながらも非常に上手く対応できたと思っている。わかろうとしているがどうしてもわからない生徒が、自分の説明を足がかりにしてわかった状態になる瞬間を見るのはやはり嬉しいものだと改めて感じた。自分の中では、マンツーマンで教科を教えるということは手を差し伸べて直接的に人助けをしている感覚に非常に近い。相手の様子を伺いながら、何を欲しているかをよく見極めて相手に助力を差し伸べる。これは案外、難しいことだったりする。「わかっている」ことと「教えられる」ことの差異はそこにあって、知識を一人でべらべらと撒き散らかすのではなく、相手がもっとも飲み込みやすい形にその都度調理して提示してやることこそが真の指導なのだと強く思う。そういう意味では、料理人と同じように教鞭を執ることだって、その仕事に「完成」は無いのだろう。場数を踏んでどんなに上手く説明できるようになったとしても、さらに上手く説明できるようになる余地を我々は常に残している。だからこそ教員は、教材研究という形で日頃から飽くなき探求を続けなければならないのだ。有り体に言って、日本の教育現場では教材研究の時間がないがしろにされてしまうことが多いのだが、自分が教員になった暁にはその風潮に甘んじることなくしっかりと自己鍛錬を行っていきたいと心に誓った。

実際に現場に赴いてみて、想像していただけではわからない色々なことがずいぶんわかった気がします。有用極まりない非常に良い授業でした。これを1万円払って回避するのはもったいない!

それでは、今回はこの辺で。See you again!

<< 学生実験のレポート | main | 台湾留学日記 その1 >>