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[教職]特別支援教育論(2):階段のぼりの話を踏まえて

author : A.Mizunoawa   [ 一般 ]
2019.10.15 Tuesday 00:00 | - | trackbacks(0) | 

みなさん、ご機嫌いかがお過ごしですか。工学研究科生命先端工学専攻M1のA.Mizunoawaです。

今回はこちらにあります「階段のぼりの話」を踏まえて僕が思ったことを書き綴っていきたいと思います。前回記事を未読の場合はそちらを先にご覧ください。

後天的に鍛えられるであろう運動神経はともかく、足の長短は生まれつきのものであって変えられるものではないから階段のぼりは公平な選抜とは言い難い。しかし、何を基準とするのかを選ぶこと自体が恣意的なものであるから、そもそも公平な選抜などというものは存在しないのではないかと思う。ならいっそ全ての選択を個人の能力とは完全に無関係な運に任せるのはどうかとも一瞬思ったが、タイの抽選制兵役の例を見れば明らかなように、運による区別では(ある意味で公平ではあるけれども)やはり不満が生まれてしまう。公平性を突き詰めていくのが理想ではあるが、現実的に言えばどこかで落としどころを見つけなければいけないわけで、そういう意味では「学歴社会」は比較的ましな選抜方法なのではないかと思う。少なくとも、階段を登るのが上手いだとか首が長いだとか言った理由よりは「賢い人が社会を担う方が上手くいく」という点で意義がある理由だと個人的には思う。

「社会的に要請される能力をたまたま持っているか否かで序列化を行う社会は不平等だ」という意見はその通りだと思うのだが、仕方ない側面もあるのではないかという気がする。「全員の平等性」を追求すると様々な問題が生じてくるのではないだろうか。

まず初めに、どこまで厳密な平等性を求めるかという問題がある。「働いたらお金をあげます」「お金が無いと生活できません」では生まれつき働くことができない人が不平等なので障害者年金や生活保護というシステムがあります、と言われても、今度はそのシステムが「働かなくていい人」と「働かなければならない人」という新しい不平等を生んでしまっているのだ(あまつさえ、低賃金者層よりも生活保護受給者の方がお金を持っているケースさえあるという……)。それに対してさらなる平等性を求めると、ベーシックインカム制や共産主義的価値観にシフトしていくことになるだろう。

次に、その平等性を保持するために奔走するのは誰なのかという問題がある。ベーシックインカム制を導入して「誰しもが働かなくても良い世界」を実現することで平等性を築こうとするとして、果たしてその制度を導入するのに汗水垂らして「働く」のは一体誰なのか? 全国民のベーシックインカムを用意するのも制度が破綻しないように維持するのも多大なる労力を要するのは間違いない。それを背負う人と享受する人の差が既に不平等以外の何物でもないのではないだろうか。

最後に、平等性が保証される範囲の対象はどこまでなのかというのも気になる点である。「人間」という尺度で見ると「健常者と障害者を区別すること」は差別に当たるが、たとえば「生物」という尺度で見ると「人間と人間以外の動物を区別すること」もまた差別であるということにはならないだろうか。その線引きを行うのが他ならぬ人間であるという時点で既に人間優位であるし、人間が当たり前のように「我々には人権が保障されるべきであるが、猿やイルカに人権は適用されなくて良い」という結論を何の疑いも無く抱いているのに「皆が平等であれ」と口にするのは自家撞着であるような気がする。それならばまだ「動物を殺して食べて良いなら、カニバリズムも同様に許される」という思想の方がまだ筋は通っている(注釈:僕自身がこの意見に賛同しているという意味ではない)。

差別を巡る問題というのは本当に複雑だと改めて思います。しかし、単純化して考えている間は決して理想の状態というものは見えてきません。たとえどんなに難しくてもありのままの問題に向き合うという姿勢が、学歴社会という選抜方法によって社会に必要な人材だと認められた者たちにとって求められている姿勢なのではないでしょうか。差別されている側がどんなに深く思い悩んだところで、無意識的に差別をしてしまっている側の考え方が改まらない限りは絶対に差別は無くならないのですから……。

それでは、今回はこの辺で。See you again!

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