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量子科学(3):確率論的解釈

author : A.Mizunoawa   [ 一般 ]
2016.11.19 Saturday 12:00 | - | trackbacks(0) | 

みなさん、ご機嫌いかがお過ごしですか。応化2回生のA.Mizunoawaです。

今回は、少しの前の記事の続きで「量子力学という概念について」の文章になります。未読の方はこちらから読み始めてください。

二重スリット実験についての考察をまとめます。

古典力学的に考えれば、粒子を二重スリットに通すと二本の線が生じ、波動を通すと干渉縞が生じる。今、粒子である電子を通した場合、生じたのは二本線ではなく干渉縞だった。故に電子は実際には波動なのかもしれないが、粒子としての性質を否定することはできないので(着弾「点」を作るということは、粒子であることは間違いない)粒子性と波動性を二重に持つと考えざるを得ない。

そこで次に、研究者たちは電子が照射されてから着弾するまでの過程について研究することになります。左右のスリットのどちら側に電子が通過したのかを確認するために、どちらかのスリットに電子を測定する機械を置くことにすると一体どうなるのでしょう。

その答えは、私たちの常識を超越したものでした。なんと「さっきまで出ていたはずの干渉縞がなくなり、スリットと同じ形の二本線が出てくる」のです。もう一度言います。「片側のスリットを観察しただけ」で、さっきまで出ていたはずの干渉縞がなくなってスリットと同じ形の二本線が出てきます。

どうしてこんなことが起こるかと言うと、それは「ハイゼンベルクの不確定性原理」というものがあるからです。数式で記述すると、プランク定数hを用いて「xp≧h/4π」となります。これの左辺は位置の測定誤差と運動量の測定誤差の積を表していて、この値が右辺に表されるある一定値より常に大きいということを意味します。すなわち、位置を正確に知りたければ運動量を正確に知ることは叶わず、その逆もまた然り、という非常に厄介な問題になります。これは量子力学に固有の現象です。つまり、投球されたボールの正確な位置と運動量を同時に知ることは可能だが、そのボールがミクロであれば不可能になるということになります。

要するに、スリットを電子が通過したかどうかを確認するためには電子に何かをぶつけて位置を知らなければならないため、電子の運動量が変化して結果も干渉縞から二本線へと変わるということです。

しかしこれでは単独の粒子が波動の性質である干渉縞を見せた「理由」を全く説明することができません。干渉縞ができるためには「単独の電子が、左右のスリットの両方に電子が通過」というありえない現象が起こらなければなりませんが、これをどのように説明すれば良いのでしょうか。

現在量子力学において主流となっているひとつの考え方に「コペンハーゲン解釈」というものがあります。どういう考え方かというと、物事が観測される前はその物事が取りうるあらゆる可能性が重なりあっている状態にあって、それが観測された瞬間、あるひとつの可能性が実現されるというものです。二重スリット実験に当てはめて考えれば、電子は左右どちらかのスリットを50%ずつの確率で通過したのではなく、「左のスリットを通過する電子という可能性」と「右のスリットを通過する電子という可能性」が共存していると考えます。これらの「可能性」同士が干渉しあって干渉縞ができると考えるのです。そして、私たちが電子の姿を確かめようと観測した瞬間、可能性の集まりがどれかひとつの可能性へと収束し、「左のスリットを通過した電子」か「右のスリットを通過した電子」のどちらか一方になってしまうというわけです。……不思議な考え方ですね。

この解釈は、今でこそ多くの学者から受け入れられているものの、発表された当時は反発の声が多かったそうです。前回の記事で説明した通り、光量子化説で量子論に貢献したアインシュタインでさえ、この解釈は不自然過ぎると主張しました。かの有名な「神は賽を振らない」という言葉は「不確定性原理はミクロな世界に対する人間の測定の限界を示すものであって、たとえ測定できなくても電子の位置は確定している」という意味です。

長いので、例のごとく次回に続きます。

それでは、今回はこの辺で。See you again!

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